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ハチ北の誕生歴史。2010年03月13日

ハチ北が誕生したのは昭和43年(1968年)です。
スキー場として40年が経過しました。
アドベンチャースキーヤーの三浦雄一郎さんがハチ北の山頂から滑り、「ここはまさにスキー場のために生まれた山だ。」といわれ、起伏に富む、魅力あるゲレンデとしてお墨付きをいただいたようです。
当時めまぐるしく成長するハチ北とともに育ってきました。
ピーク時になると子供部屋も客室に変身する勢いでした。
お客様も相部屋でしたので今から思えば考えられない時代ですね。
今日は、ふと昔を思い出しアルバムを開いてみました。

ハチ北がスキー場になる前に、村の中の橋が木橋から、コンクリート橋に竣工し、テープカット・渡り初めをした時の写真です。(西村屋さんと新橋さんの間)
当時、コンクリートが乾かないうちに歩き、足跡を付け、友達と叱られたことを思い出します(コンクリートが何か判らなかったのでしょうか?)。

町長さんや、議会議員さん、区長さん、区民のみなさんの力が一つになって、道路や橋などが次第に良くなったのですね(栄羽挺三町長さんがテープカット)。
橋完成のテープカット


開発前のハチ北。
リフトが付く前の様子(野間ペアリフト終点の瀞川山側より鉢伏山頂を望む)。
昔のスキー場


中央ゲレンデのリフトがシングルリフトです。ピーク時になるとリフト待ちの行列が長く、滑る時間より、待つ時間が長かった頃です。
シングルリフト
今後とも皆様のご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


ハチ北高原スキー場 よなごや(米子屋)HP
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm