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「ジャンボひまわり日本一」新聞記事。 ― 2010年11月18日
兵庫県香美町には、但馬牛、村岡米、松葉ガニの他に、
誇れるものが、登場しました。
それは、ジャンボひまわりの6m51cmです。
日本海新聞に掲載されていましたので紹介いたします。


ひまわりの支柱にくくった紐を毎日くくり直す努力をしていたようです。
人も、ひまわりも締め付けは良くないのですね。
ハチ北 よなごや
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
11月の護摩に行ってきました。 ― 2010年11月18日
新温泉町浜坂の清富にある「相応峰寺」の11月の護摩に行って来ました。
3回生の長男の就職成就の祈祷お札(本人は努力と、親は神頼み)
と、親戚から頼まれた車のお守りを頂くためです。
護摩は午前10時30分頃から12時頃まで行いますが、護摩木の本数、祈祷お札の
数が多い時は、時間が長くなります。
護摩が終わると、小川住職が毎月18日に発行する手作りの宗教啓発情報誌によって、
身近な事例から宗教心の涵養と、布教の講話が行われます。
気になる場所や人を訪ねて各地を周り、そこで得たこと、感じたことをわかりやすく講話されます。
人としての生きる道、品格、謙虚などを気づかせていただきます。
つとめて、月に1度の護摩の火にあたり、心の垢をそぎ落としに行くのですが、すぐに溜まる性質みたいです。
3回生の長男の就職成就の祈祷お札(本人は努力と、親は神頼み)
と、親戚から頼まれた車のお守りを頂くためです。
護摩は午前10時30分頃から12時頃まで行いますが、護摩木の本数、祈祷お札の
数が多い時は、時間が長くなります。
護摩が終わると、小川住職が毎月18日に発行する手作りの宗教啓発情報誌によって、
身近な事例から宗教心の涵養と、布教の講話が行われます。
気になる場所や人を訪ねて各地を周り、そこで得たこと、感じたことをわかりやすく講話されます。
人としての生きる道、品格、謙虚などを気づかせていただきます。
つとめて、月に1度の護摩の火にあたり、心の垢をそぎ落としに行くのですが、すぐに溜まる性質みたいです。

護摩は、「焚く」「焼く」の意味で、炉の中に細長く切った薪木(護摩木)を入れて燃やします。
護摩木には、成就したい願い事、氏名、年齢を書きます。

炉中に、色々な供物を投げ入れ、火の神様がお供物を天に運び、護摩の炉の火を通じて、
天の神様に願い事を叶えて頂くものです。
また、火にお札をあてることにより、威力を発する祈祷札となるようです。
火にあてることにより、焦げてしまうことがあったり、時に燃えてしまうお札もあります。
そうなれば、気になります。

我が子のお願いしたお札は?
少々のコゲ跡があった程度でした。良いことにしよう。

11面の顔を持ち、33のお姿に化身して、
困った者を良き方向に導いていただける十一面観音菩薩様がご本尊です。
生きてきる者を救うのが菩薩様。亡くなった者を助けるのが如来様。
困った者を良き方向に導いていただける十一面観音菩薩様がご本尊です。
生きてきる者を救うのが菩薩様。亡くなった者を助けるのが如来様。

護摩の後は、住職手作りの啓発情報誌、「観音妙智力」により講話が行われます。

宮沢賢治さんの自宅をご家族で訪れ、
宮沢賢治さんのお墓や仏壇をお参りした時の様子をパソコン画像によってお話されました。

小川住職は、宮沢賢治さんの自宅に行かれて、
宮沢賢治さんの死後、遺品のかばんの中から見つかった手帳、
「雨ニモマケズ・・・・」の実物の手帳を見せていただいたようです。凄い!
宮沢と聞けば殆どが賢治と答えるほど、
幼稚園からお年寄りまですべての人が知っている。
政治・経済・芸能人は一時的であるけれど、詩人、文人を超えた認識度がある。
このことは、宮沢賢治さんが法華経に出会いその教えを自分の生き方に求めて行動を積み上げた賜物。
岩手県花巻で農業を盛んにする基礎をつくり、農家を指導・支援して行った人
まさに、菩薩行の実践によるもの。
小川住職の雨ニモマケズの解釈は、
自然や宇宙すべての現象や実体そのものをすべて愛する私は、
決して雨や風や雪が嫌いと言っているのではない。
それよりも、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けないくらい、
雨や風や雪のようにたくましい、丈夫な体であっておしかった。
志しなかばで二度も倒れて、命が危ない病床に今いる自分の現状にあって、切にそう思う。
(病床で最後の力を振り絞って書いた手帳)
欲のような、目に見えるものにとらわれてはいけない。
同じように怒って、感情を取り乱すような醜態をさらしてはいけない。
いつも静かに笑って多角的に観察できるような姿勢が大切。
一日玄米4合と、味噌と少しの野菜という粗食で食事というものは良いものだ。
そうすれば体も元気が出て、あらゆることを主観的あるいは、自己中心的に物事を捉えて
トラブルの種を引き起こすこともないだろう。
さらに、他者の意見や現場を実際によく見て、聞いたりして確認しそれをしっかりと心に
刻んでおかなくてはならない。
野原の松の林のひっそりとした静かなところで小さな萱葺の小屋のような家がいい。
それは人としてのありかたや、生命の維持に必要な基本的なことを感じることが出来る。
いわば、原点に近づくことがdきるからそのような家がいいのだ。
東に病気の子がいれば実際に行って看病が出来るだろうか看病しなければならないのだ。
西に疲れた母がいると知ったとき、果たして行って(行動を起こして)代わりに稲の束をおえる
だろうか。しなければなないのだ。
南に死にそうな人があれば果たして行って(行動を起こして)怖がらなくていいと癒すことが
できるだろうか。行って癒すことをしなければならないのだ。
北に喧嘩や訴訟があったとき、つまらないからやめろと言えるだろうか。言わなければならないのだ。
法華経に触れ、私は(宮沢賢治さんは)みんなの幸せのために生きたいと決意し以上、教師を辞めて
農家の支援に当たってきた。
だから、日照りのときは涙を流し、寒さの夏は困惑し、農家と共に苦しみや悲しみを同じ目線、
境遇になって捉え悩みたい。
どうしてそんなに一生懸命になれるのかと嘲笑されても、
ほめられなくても、
存在も感じられなくてもいい。
そういうものに私はただなりたいだけななのだ。

まさに、菩薩行の実践によるもの。
小川住職の雨ニモマケズの解釈は、
自然や宇宙すべての現象や実体そのものをすべて愛する私は、
決して雨や風や雪が嫌いと言っているのではない。
それよりも、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けないくらい、
雨や風や雪のようにたくましい、丈夫な体であっておしかった。
志しなかばで二度も倒れて、命が危ない病床に今いる自分の現状にあって、切にそう思う。
(病床で最後の力を振り絞って書いた手帳)
欲のような、目に見えるものにとらわれてはいけない。
同じように怒って、感情を取り乱すような醜態をさらしてはいけない。
いつも静かに笑って多角的に観察できるような姿勢が大切。
一日玄米4合と、味噌と少しの野菜という粗食で食事というものは良いものだ。
そうすれば体も元気が出て、あらゆることを主観的あるいは、自己中心的に物事を捉えて
トラブルの種を引き起こすこともないだろう。
さらに、他者の意見や現場を実際によく見て、聞いたりして確認しそれをしっかりと心に
刻んでおかなくてはならない。
野原の松の林のひっそりとした静かなところで小さな萱葺の小屋のような家がいい。
それは人としてのありかたや、生命の維持に必要な基本的なことを感じることが出来る。
いわば、原点に近づくことがdきるからそのような家がいいのだ。
東に病気の子がいれば実際に行って看病が出来るだろうか看病しなければならないのだ。
西に疲れた母がいると知ったとき、果たして行って(行動を起こして)代わりに稲の束をおえる
だろうか。しなければなないのだ。
南に死にそうな人があれば果たして行って(行動を起こして)怖がらなくていいと癒すことが
できるだろうか。行って癒すことをしなければならないのだ。
北に喧嘩や訴訟があったとき、つまらないからやめろと言えるだろうか。言わなければならないのだ。
法華経に触れ、私は(宮沢賢治さんは)みんなの幸せのために生きたいと決意し以上、教師を辞めて
農家の支援に当たってきた。
だから、日照りのときは涙を流し、寒さの夏は困惑し、農家と共に苦しみや悲しみを同じ目線、
境遇になって捉え悩みたい。
どうしてそんなに一生懸命になれるのかと嘲笑されても、
ほめられなくても、
存在も感じられなくてもいい。
そういうものに私はただなりたいだけななのだ。

宮沢賢治さんのお墓参り。

宮沢賢治さんの家の仏壇。
左と右二つあり、右の仏壇には十一面観音菩薩様と仏教を日本に伝えた聖徳太子像があったようです。

天皇から高僧に贈られる「大使」号の最初の人は、天台宗の開祖、伝教大使最澄さん。
比叡山の根本中堂にの前には「宮沢賢治さんの碑」が建立されているようです。
大衆と共に苦労を共にし、その高尚さが日本人の心を掴んでいるようです。
小川住職いわく、宗教心は普遍的であるとのこと。
自己反省と謙虚さ、そして宗教心を持ち日々向上したいと思っているのですが・・・・・。

講話の後、オーリングを行いました。
右手の親指と人差し指をくっつけて、丸をつくります。
それを、小川住職が両手で外します。普通ですと、わりとすぐに外れます。

しかし、加持をした後の力は凄いもので、五鈷杵(ごこしょ)の法具を左手に持ち、
小川住職が背中をさすった後に、オーリングすると
何と、指の力が強くなり、
なかなか開かないようになりました。

小川住職が背中をさすった後に、オーリングすると
何と、指の力が強くなり、
なかなか開かないようになりました。

これが本来の健康な体とのことです。
加持の力は凄いですね。お寺と言うのはその様なエネルギーのある場所のようです。
その後、当方に声がかかり、前に出て体験することとなりました。
すぐにオーリングが外れて、どこが悪いと違うか?と言われました。
そうです、実は最近肩がこったりで熟睡出来ず、寝不足状態であったのです。
(もしやそれ以外にも?)
護摩の後、カイロプラクティックを予約し、行く計画をしているのです。
それはともかく、背中をさすって祈祷して頂くと、
何と、オーリングは外れにくくなりました。
状況が少し飲み込めなかったので2度試してもらいました。
体験を通じて祈祷の効果は、本当に凄いと感じました。
護摩が終われば、檀家の方々の手作りの昼食を頂けます。
本日のメニューは、セコガニ、そば、さといも等です。
いつも美味しい味付けのご馳走を有難うございます。

心の垢をそぎ落とし、リッセットしました。
体の調子も良くなり、気分爽快でお寺を後にしました。

