現在の閲覧者数:
文化の日! ― 2012年11月03日
香美町村岡区中央公民館で文化祭が開催されていました。
香美町村岡区の方々の出展された作品を見せていただき
趣味の大切さを感じた文化の秋でした。





■村岡ダブルフルの川柳の投票箱が置かれていました。
クリックすると拡大します。






■お茶席です。
美味しく頂戴いたしました。 ご馳走様でした。

■明治初期から昭和時代までの葉書や切手を展示しています。

■八井谷峠を越えて郵便物を運んでいたスキー板など展示しています。

■昭和へのタイムスリップを楽しめます。





■元郵便局長の西田修さま御夫妻です。


■平成24年11月3日の日本海新聞社さまより掲載させていただきました。
ハチ北高原スキー場 よなごや (兵庫:但馬)
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
香美町小学生カルタ大会でした! ― 2012年01月17日
平成24年1月15日(日)に香美町小学校カルタ大会が(町こども会育成連絡協議会主催)
香美町村岡区の村岡体育館で開催されました。
小学校4年生の部では、甥にあたります福住天基(たかき)さんが優勝しました。
おめでとうございます。
■香美町小学校カルタ大会の4年生の部で優勝した福住天基(たかき)さんです。
日本海新聞社さんの記事より掲載させていただきました。
香美町村岡区の村岡体育館で開催されました。
小学校4年生の部では、甥にあたります福住天基(たかき)さんが優勝しました。
おめでとうございます。
■香美町小学校カルタ大会の4年生の部で優勝した福住天基(たかき)さんです。
日本海新聞社さんの記事より掲載させていただきました。

武田邦彦先生と記念写真! ― 2011年12月14日
テレビ番組の「ほんまでっか」に出演の武田邦彦先生と、田渕龍太郎(長男)との記念写真です。
「明石家さんま」さんや「ビートたけし」さんの芸能人のお話しをしたようです。
内容は、大物タレントや司会者は絶対嘘をつかない!
また、飲み会行っても「明石家さんま」さんが必ずお酒を注いでくれ、
まるで、会社の上司と部下の様な関係。
「ビートたけし」さんは、必ず楽屋に来てくれて挨拶してくれる!ようです。
また、武田先生は人に頼みごとをされたら絶対に断らない事や、損得勘定で行動しないようです。
■武田邦彦先生との記念写真です。
内容は、大物タレントや司会者は絶対嘘をつかない!
また、飲み会行っても「明石家さんま」さんが必ずお酒を注いでくれ、
まるで、会社の上司と部下の様な関係。
「ビートたけし」さんは、必ず楽屋に来てくれて挨拶してくれる!ようです。
また、武田先生は人に頼みごとをされたら絶対に断らない事や、損得勘定で行動しないようです。
■武田邦彦先生との記念写真です。

武田先生が社会人として働いていた頃に感じた事として、
「営業と技術者」を「大人と子供の集まり」と言っていたようです。
その意味は、
営業職はたくさんの人とふれ合い、たくさんの人達と、コミュニケーションをとるから、
だんだんと大人っぽくなって行くのに対し、
技術職はほとんど人とは触れず、機械ばかりで自分の意思が強いため、
意見を曲げずに子供っぽいと!と話されていたようです。
最後に、来てくれてありがとうと!
と30分間、とても気さくに話していただけたようです。
■武田克彦先生から頂戴した色紙です。

漢字の読み方は豁然(かつぜん)。意味は、視野が大きく開けること!
長男よ!
来春より、社会人!
視野が大きく開けて行くような「人」となることを期待しています!
ハチ北高原スキー場 よなごや(米子屋)
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
来春より、社会人!
視野が大きく開けて行くような「人」となることを期待しています!
ハチ北高原スキー場 よなごや(米子屋)
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
村岡区文化祭です。 ― 2011年11月01日
村岡区中央公民館にで村岡区文化祭が開催中です。
11月4日(金)までの展示です。
11月4日(金)までの展示です。


使わなくなってから、半世紀以上がたつ香美町村岡区萩山の村芝居のからくり舞台装置を
2階で展示しています。

体育館に飾られた展示物です。




▼三男 田渕康三郎の作品です。

▼母 田渕美智子の作品です。


文化の日は、文化と芸術に親しむ日のようですが、
文化祭に展示する作品もなく、家族に取り残されたような文化の日でした。
ハチ北高原スキー場 よなごや(米子屋)
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yonagoya/index.htm
高校生の出版図書 水間恵里さん! ― 2011年06月02日
兵庫県立村岡高等学校三年生の水間恵里さん出版本が、
6月1日の販売されるのを待って、新聞各社に本の紹介記事が掲載されていました。
新聞記事の内容を掲載させていただきました。

6月1日の販売されるのを待って、新聞各社に本の紹介記事が掲載されていました。
新聞記事の内容を掲載させていただきました。

【毎日新聞様の記事より掲載しました。】
校生脳幹出血で入院中だった母親から生まれた県立村岡高校3年、水間恵里さん(17)=香美町小代区鍛冶屋=が自伝「エイプリルフール~天国から地獄」(文芸社)を自費出版した。
自分が誕生してからの家族の歴史を日記スタイルで描き「お母さん、私を生んでくれてありがとう」と、今も後遺症で体が不自由な母に感謝の気持ちをつづっている。【皆木成実】
母祐子さん(51)は妊娠3カ月だった93年4月突然倒れた。
1カ月後にこん睡状態から目覚めたものの、高熱が続いて退院できなかった。
恵里さんはこの年の10月、寝たきりだった祐子さんから帝王切開で生まれた。
祐子さんは出産から約1年後に退院したが、左半身がまひし、車いす生活が続いている。
自費出版は昨年9月、恵里さんが新聞の募集広告を見て「自分の思いを本にしたい」と家族に頼んで実現した。
体が不自由な祐子さんに代わって世話をしてきた祖母しげ子さん(81)ら家族から話を聞いて、
幼いころの自分の気持ちを思い出しながら、約3カ月がかりで400字詰め原稿用紙15枚にまとめた。
小学校や中学校の入学式に祐子さんが来られずさみしかったことや、手料理が食べられず残念だったことなどを率直につづっている。
一方、「中学の卒業式に車いすで来てくれたことは、とてもとてもうれしかった」とも語り、祐子さんが介護される姿を間近で見て、福祉関係に将来進みたいと考えていることも書いている。
「エイプリルフール~」の題名は祐子さんが倒れたのが4月1日で、危篤の連絡を受けて信じられなかったことや、父貞三さん(52)が初の出産を楽しみにしていた時に妻の急病でショックを受けたことを聞いて付けた。
恵里さんは「いつも心の中で思っていた家族への感謝の思いを本にできてうれしい。
自分や両親と同世代の人に読んでほしい」と話している。
自伝は四六判52ページ。945円。但馬地方の主な書店などで販売している。
【日本海新聞社様記事より掲載しました。】
水間恵里さんのお母さんと同級生です。
親子ですね・・・。顔が似ています!高校当時を思い出します。
当時の卒業アルバムと娘さんの出版した本を並べてみました。

書道の模範生となりました。 ― 2011年02月22日
高校一年生の三男は、書道を小学校一年生からはじめており、10年間続いています。
この2月にめでたく「書窓学院」の主催する書道の検定で、模範生となりました。
模範生は、高校生では最高位のようです。
8級→7級→6級→ ・・・・・ 1級 →特級→準初段→初段→準二段→二段→準三級
三段→準四段→四段→準五段→七段→八段→優等生→準特待生→特待生→準模範生→模範生

「よなごや」の三男の田渕康三郎です。



書道を生涯の趣味にするのもいいかもしれません。
作家・山田風太郎 ― 2010年03月22日
隣町の養父市関宮に、作家の故山田風太郎さんの記念館があります。
大正11年に関宮に生まれ、昭和17年に東京に出るまでの20年間但馬で過ごしました。
医者であったお父さんと5歳で死別し、お母さんとは中学2年で亡くしています。
昭和19年東京医科大学に入学しています。
在学中に、探偵小説雑誌に投稿し、新人賞を受賞しています。
昭和25年から作家として本格的に出筆活動をしました。
「忍法帖」シリースや歴史伝奇小説「人間臨終図鑑」などがあります。
大正11年に関宮に生まれ、昭和17年に東京に出るまでの20年間但馬で過ごしました。
医者であったお父さんと5歳で死別し、お母さんとは中学2年で亡くしています。
昭和19年東京医科大学に入学しています。
在学中に、探偵小説雑誌に投稿し、新人賞を受賞しています。
昭和25年から作家として本格的に出筆活動をしました。
「忍法帖」シリースや歴史伝奇小説「人間臨終図鑑」などがあります。

記念館の展示写真に山田風太郎(本名:山田誠也)さんの位牌の写真がありました。
位は院号ですが戒名が風の字ばかりで驚きました。
